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分野 : 一般 カテゴリー : コラム 2025-03-03
このように大好きな東北であるが、絶対に忘れてはならない事がある。
 それは、東日本大震災の津波により被災し、多量の放射能をまき散らした東京電力福島第一原子力発電所(F1)の復旧状況と、放射線による風評被害である。
 放射線による実被害と人体などへの影響は、専門家に任せるほかないが、未だ被災原発の炉心と収納容器については、完全復旧までの見通しが立ったとはいえず、炉心で溶融した「デブリ」についてだけでも、その処分方法はもとより、「安全確実な取り出し方法」すらも、試行錯誤の段階にあるといえる。
 総量100万トンを超えて数百基の貯水タンクに貯留されている「処理水(除去が難しいトリチウムを含む)」の処分も進行中とはいえ、風評被害を完全には払しょくできず、東北地方の水産業は未だ苦境に立たされているという現実がある。
 またこのことはすでに、繰リ返して大々的に報道されるニュースではなくなっているが、今もある地域の山菜やキノコ、さらには米やアユなどの川魚が、出荷の自主規制を余儀なくされておリ、山林や耕作地の除染についても、未だ広大な面積が手つかずのままである。
 私は原子カ・放射線の専門家ではないが、ある小さな出来事からこんな心配をしている。
 それは近年になっても見られる、柿の実の異常(奇形)である。
 実は我が家には昨年の暮れに切ってしまったが、かなリ大きな柿の木があった。放射能漏れがあった年の3, 4年後までは安全のために、収穫した柿の実はすべて処分してしまっていた。
 ところが事故の10年後に当たる昨年、久しぶりに干し柿でも作ってみようかと収穫したところ、多く収穫された柿の実の内の数%が、奇形だということに気づいたのである。
 どんな状態だったかといえば、2~3個の実がくっついて一つになったものや、柿の実の外形に「こぶ」や「つの」のような異形物が付着して、まともに皮をむくこともできず、とても吊るし柿にできるような代物ではなかったのである。
 今年の我が家には柿の木はもうないので、今年どんな実が「なった」かは不明だが、今年の秋には宮城県内でも「吊るし柿」の産地として有名な丸森町がTVニュースでとり上げられ、そこの農家でも、柿の実の奇形が注目されていることが報道されていた。
 このことから柿の実に奇形が出来るのは珍しい事ではないらしい。
 我が家の柿の実で、正確な放射線量を測定してみたことはないので、どれほど危険であるかは判らないが、この奇形の発生は間違いなく、微量であっても放射線の影響が柿の木の遺伝子に何らかの影響を与えたものと考えられ、その影響は災害後10年を経過してからも現れて来るものともいえる。
 正式な線量を測ってみれば、その値は許容値以下で、安全宣言が出るかも知れないが、やはリ積極的にこの奇形の柿を食べる気にはならない。
 実は仙台市の我が家辺りは、今回のF1事故では汚染地帯にはなっていないのである。
 しかしすぐ南隣の白石市の近くまでは汚染地帯が及んできており、仙台市を飛び越えて遙か北方30 kmの大崎市あたりにも汚染地帯は確認されている。風向きのため、運よく多量の放射能は降下しなかったのかもしれないが、微量の放射線は間違いなく我が家の周辺にも降り注いでいることは確実で、その証拠が我が家の柿の木の異変であったのである。
 そしてこれも、人間の俸康に直接の影響を与えるものとは考えられないが、小型の蝶「ヤマトシジミ」の裏面の斑紋の(放射線の影響による)変化を、日本の昆虫学会或いは同好者の団体が、広く調査したことがあった。この調査なども短期間で終わらせず、もっと長期にわたる調査を継続して、結論を出して欲しいものである。
 このように、フクシマの問題、災害復旧は、まだ完全には終わっておらず、今後もまだしばらくの間続くものと思われる。
 しかしながら、このような小さな問題で騒ぎ立てることは、地元が今もっとも気にかけている「風評被害」には決して良い影響を与えないことは事実である。
 東京電力も、政府も、地元住民も、「原発事故は収束した」そして「今は何事もなくて、安全だ」の一点報道だけを強く念願している。そしてこれは、純粋に科学的な面から見ての結論は別として、経済・生活面を考えると仕方がないことではある。
 フクシマの状況は事故発生の直後から大きく好転しているわけではないが、少なくとも拡大して悪化することは抑止されていると見ることはできる。
 F1事故は事故直後には、世界中から「日本全体が危険だ」という見方をされたが、しばらくすると問題は「東北地方に限定」され、今は東北全体の問題でなく福島の地方問題、そして最近は福島でも会津や中通リ地方は無関係で、太平洋岸の浜通りの一部に限った問題であると考えられるようになってきている。
 いたずらに問題を大きくして、風評問題の鎮静化に水を差すつもりは毛頭ないが、人類が初めて経験し、詳細な事後・追跡調査が絶対に不可欠な本事案が、正しく理解され、2度とこのような事故を起こすことがあってはならないのは当然として、今後の対策に正しく生かされなければ、多大の犠牲をはらったフクシマの事故が「無かった事」にまではならないにしても。うやむやになったリ、無駄になってしまう事を強く危惧している。(2023.12. 20)
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