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分野 : 一般 カテゴリー : コラム 2024-11-25
さらにもう一つ、これも全国のあちこちを歩きまわったお陰で、獲得できたことがある。
 それは方言(なまり)が少しも恐ろし く感じなくなったことである。
 実は新入社員として、岩手県田老町(現宮古市)の鉱山事務所に初出勤した日、はじめて出た社内電話で、外国語よりもはるかに理解し難い「なまり言葉(方言)の攻撃」に遭い、あわてて先輩に受話器を代わってもらい、話を聞いてもらい、その内容を伝えてもらうといった苦い経験が、私の地方勤務のスタートだった。
 それが上記のように、20代の内に全国各地を転勤して回リ、30代以降は仙台に居を構え、東北各地をほとんど隈なく歩き回ったお陰で、本邦でももっとも難解とされる「津軽弁」と「鹿児島弁」の両方を、「自由にしゃべること」はできないにしても、「聞く」ことだけは、どうにか出来、大意を理解できるようになっている。
 日本各地の方言め中には、単に標準語の単語を別の言葉に言い換えただけで、改めて「意味」を聞けば、すぐに理解できるものと、標準語と良く似た発音ながら、全く異なったニュアンスのもの、の2者がある。
 例えば津軽弁に「あずましい」と「まいね」という言葉がある。前者は標準語だと、ちょっと「うっとうしい」に似たようなニュアンスにも聞こえるが、実は「大変に好ましい」という意味で、大好きな人達のことを「あずましい人々』などと言う。
 それに対して「まいね」は、標準語では「まぁい~ね」などの言葉と近く感じられ、肯定的な言葉かと思うと、さにあらず、これは「絶対にだめ!」といったきつい否定の言葉だから、使い方をまちがえると大変な事になる。
 秋田弁などではそれほど強烈な表現は少ない。「どうぞ、あがってゆっくり休んでください」というのを「どうぞ、寝てたんへ」と言ったりするが、これを言葉通りにとらえて、上がった座敷でゴロリと寝転んでしまってはダメ(失礼に当たる)なのである。
 九州地方では、こちらから「行く」ことを「来る」と言い、それから何かを勧められた時「下さい」というのを「やんない(やって下さいという意で、いらないではない)」とも言う。これなどは、先方とこちらの立場が逆転していると思えば、理解しやすい。
 鹿児島の自動車学校に通っていた時、教習所の若い教官に(ニコニコしながら)「吉川さん、メにきちよっとね?」と聞かれてびっくりしたことがある。「目にきてるのか?」と聞かれたとすれば、運転練習の最中に、例えば道路標識などの重大なものを見落としていたのかとキヨトンとしていると、その若い教官は苦笑いして「吉川さんは、毎日来ているんですか?」と標準語で言い直してくれた。鹿児島弁では「鉄道」のことを「テッド」などと言い、「撥音便」「促音便」など、高校時代に国文法で習った特殊用法が多用され、文章が極端に短くなっているようなのだ。
 日本一短い会話が津軽弁と鹿児島弁にある。このように日本の北と南の端で、似通った方言の使い方があるということは、興味深い事実だと思う。 それは・・・
 津軽弁:「どさ?」「ゆさ!」、鹿児島弁:「け、け、け?」である。
 津軽弁の方は「(あなた)どこさ(へ)行くの?」「ゆ(温泉または銭湯)だよ!」という会話。
 鹿児島弁の方は「け(貝)を、け(買いに行)のか?」という意味である。
 プロの方言の,研究者や宮本常一や柳田国男などの民俗学者なら、さらにもっと理論的・系統的で、面白い事例もいっぱい指摘できると思われるが、ここはズブの素人の「放談」としてお許しいただければ幸いである。
 こんな経験を積んでくると、こちらはだんだんと図々しくなってくる。相手のいう事が判らない時は、しつこく何度でも繰り返して聞いても平気。こちらは「標準語」をしゃべっているのだから、通じなくて悪いのはそっちの責任だ、というわけである。そしてこういう接し方をしても、失礼には当たらないという変な自信が醸成され、これがその後の処世術の一つにもなっている。
 またこれは方言とは少し異なるが、山の中の部落などでは、みんな同じ苗字の家ばかりということがしばしばある。宮崎に在住した時の経験であるが、そこの部落は全員、「甲斐」と「興梠(こうろぎ)」性だけだった。高校野球の地方予選が行われていて、あるチームの打順がアナウンスされていた。1番興梠(こおろぎ)健(けん)君、2番興梠翔(しょう)君、3番興梠〇〇君・・・といった具合である。
 それから宮園、中ノ園など、苗字に「園(その)」のつく人の出身地は、鹿児島であることが多く、始めて会った人に出身県を聞いてみると、8, 9割は当たることが多い。
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